数か月前。改元の瞬間を、はじめて体験した。
30年と少し続いた平成という時代が終わり、新しい時代に突入する瞬間。 それがいかに特別で貴重なことなのか、平成生まれのわたしにはあまりピンとこない。 ただ、戦争のない時代にうまれてよかったと、思っていた。けれど。
世界のあちこちで、わたしたちの身の回りで起こる、ちいさな衝突。おおきな衝突。
それらから、わたしたちは逃れることができないのかもしれない。
8月9日金曜日 仕事を早々に切り上げ、わたしはこの日の会場である「モノリス」へと向かった。
倉庫に続く扉を見つけ、おそるおそる足を踏み入れると、
そこには、ひっそりと、確実に、どこからか流れついたわたしたちを、
肯定も否定もしない世界が広がっていた。
ここへは、ドキュメンタリー映画を見に来た。
鑑賞する作品は、『アンダーグラウンド・オーケストラ』
詳しい作品の紹介は割愛するが、1999年に山形国際ドキュメンタリー映画祭で公開された この作品は、パリに集まった多くの音楽家たちが、鉄構内や街角で思い思いの楽器を演奏し、生活をしていく様子をとらえた映画だ。
彼らの多くは政治亡命者であり不法移民である。
ジャンルを問わない演奏の素晴らしさと、音楽家たちが語る過酷な過去、
決して楽ではない現在が、エディ・ホニグマン監督の目を通して語られる。
夢にまでみた35mmフィルム映画の鑑賞だった。
がらがらと背後で音を立てる映写機に、わたしの胸は子どものように鳴り、
その音は自然と耳になじみわたしを映画の世界につれていった。
ハープの音が地下鉄に続く空間で鳴り響く。
誘われるようにしてわたしはホームへの階段を降りた(ような気分になった)
車内で突如として始まった弦楽器の演奏に、ふたりの少女が顔を見合わせる。
ロマンチックなメロディに恋人たちは肩を揺らし顔をよせあい、
背中合わせの肌色の違う少女たちは笑顔になる。
彼らが何を想い、彼女たちが何を話したのかわたしは知らない。
ただ、携帯電話が普及し、SNSによるオンラインでのコミュニケーションが当たり前になる前の時代、わたしたちはずっと、対面での会話をしていたのを思い出す。
撮影者以外誰一人として、ものを通してみている人がいない。
誰もが、その目で、目の前で起こっていることを見ている。
ああ、こんな世界が、あったのか、と思う。
わたしがまだ生まれる前には。こんな世界があったのか。
そのことに、なぜだか心が震えた。
舞台は地上に変わった。
地下鉄での許可が降りないまま秘密裏に進められた撮影はついに地上に追いやられたのだ。
路上で演奏する夫婦にカメラは近づく。
「何をやっているんだ」「撮影よ」そう答えたとたん彼らは笑顔になり、
どこの出身かと聞かれ「ルーマニア」と答えた。
そのあと演奏したのはひょっとすると故郷と何か関係のある音楽だったのだろうか。
立ち去るカメラに、彼らは言う。撮影してくれてありがとう。
生活を支えるために、故郷のために、伝えたい何かのために、ここには多くの人々が集まる。カメラは、そんな彼らの希望のひとつだったのかもしれない。
場面が変わり、小さな部屋のベッドの上では、
ベネズエラ生まれのハープ奏者の彼が、緊張した面持ちで電話をかけていた。
彼とその家族が新しい家を見つける可能性が絶望的なのだ。
審査が通らなかった、と、嘆く彼の表情。
その後、ひっそりとたたずむパリの街がスクリーンを支配した。
ここが、パリなのだ、と。そう、言い聞かせられているような気分になった。
作品のラストで、カメラは、朝を迎えるパリを流れるように進む。
こんな小さな街なのに、あんなにも、壮大な過去を抱えた人々がたくさん存在している。
その様は、わたしたちの住む世界とあまりにもそっくりだった。
誰もが移民だ。
どこからか流れつき、いろんな事情を抱え、今を必死に生きている。
■すばらしき映画音楽たち
http://score-filmmusic.com/
「すばらしき映画音楽たち」という、何年か前に見たドキュメンタリー映画のことを思い出した。この映画の作中ではさまざまなフィクション映画の音楽が紹介され、それぞれの役割が語られる。
地球上ではその姿を確認されたことのない、 ぎょろりとした目を持つ生き物を自転車のカゴに乗せ、わたしは夜空をかけあがった。
ステキなハットをかぶった考古学者と太古の宝石をめぐり旅に出た。
はたまた海では、そこを支配するどう猛なサメにおののいた。
かつて目の前で体験した冒険、なりたかった主人公たちを思い出す。
そこにはかならず、すばらしき映画音楽たちがあった。
作品を引き立てる音楽がある。と同時に、わたしたちの生活に色をつける音楽がある。
『アンダーグラウンド・オーケストラ』は、そんな、わたしたちがここまで生きてきたことの記憶に、色をつける音楽のことを思い出させた。
楽しかった記憶、悲しかった記憶、買い物にいくとき、母親に手をひかれた生活の記憶。
あのとき彼女が歌っていた歌の名前はなんだったのだろう。
ホニグマン監督が撮っていたのは、ただの記録映像ではない。記憶だ。
パリに住む彼らの記憶と、それを監督が心に焼きつかせた記憶。
そしてその記憶たちは映像を通してわたしの心にめぐり、
過去の大切な部分にあるわたしの記憶を呼び寄せ、胸をいっぱいにさせた。
鑑賞後、外の空気を吸いに少し出る。
紫色だった空はいつのまにか黒に染まり、月のひかりがわたしの不安を取り除いた。
この映画が終わっても、世界は何も変わらないかもしれない。 すべての悲しみは消えないかもしれないし、 心がつながりあうことはできないかもしれない。
それでも。
著: R.Morimoto (N.U.I.project)
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