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沢田 穣治 jyoji sawada choro club の活動を軸に、万博から始まる壮大な音楽との出会いから、 規格外 sawada-music を築き上げる。2020 年、日本コロムビアと連携 するレーベル「Unknown Silence」創立。 近年は京都芸大にてバシェ音響彫刻の研究に関わり、現代音楽及び 邦楽器の室内楽作品の作曲、プロデューサーとして「武満徹ソングブック」 「No Nukes Jazz Orchestra」など制作多数。 <コメント> 少年期に「大阪万国博覧会」で出会った【バシェ音響彫刻】の音が忘れられず、 40 数年がすぎた頃。京都に移住したことで、思いがけずバシェ音響彫刻の修復プロジェクトを 知り、すぐ参加することになりました。 その後、「万博記念館(EXPO'70 パビリオン)」で行われた【バシェ音響彫刻】関連イベントでは、 当時、フランソワ・バシェさんのアシスタントとして、 音響彫刻の制作に関わった川上格知さんにもお会いでき、素晴らしい出逢いと心の師への再会の 機会を与えられました。一連の再会により音楽の出発点に戻ることになり、 いま【バシェ音響彫刻】のアーカイブの制作がライフワークになりつつあります。 さて、話を 50 年近く時間を遡る少年時代に開催された「大阪万国博覧会」での衝撃に話を戻します。 まず、当時はまだ好奇心旺盛の少年で、現在の記憶の中心である「川上フォーン」で遊んだことは 鮮明ですが、決して他の体験がなかった訳ではありません。 もちろん普通の子供なんで、「アメリカ館」「ソ連館」に興味津々でした。 でもこのような人気館はいつも2時間以上待ちでして、並ばずに入れるパビリオンを数々見学して いました。そのなかで、今後の沢田少年の生き方に影響を与えた「鉄鋼館」に展示にされていた【バシェ音響彫刻】。 この奇妙な形状に触れ、叩くと初めて聴く不思議な金属の音に夢中になり、おませだった沢田少年の 死生観にぐさっと刺さり、大人になって知った「ものの哀れ」だったのか、命の無常なのか、 表現できない不思議な感覚になりました。 "目の前にある未知なるものへの興味と共に抱く恐怖" でも、なぜか唆られる不思議な体験でした。 以来、ここを訪れ、音楽家になってからも、ずっと鮮明な記憶に残っていたのでした。 東京での活動が中心になった 90 年代に入り、 当時のバシェ音響彫刻のその後を知るための資料、情報などを調べ始めたのですが その頃はまだネットワークもないので、情報は得ることができないまま落胆な気持ちで、 「鉄音の記憶」と題した音響作品と室内楽による「エキスポ 70」という作品を制作しました。 わが人生の辿った軌跡と重なる【バシェ音響彫刻】との出会いと再会、 ドキュメンタリーで再現していただけらとの思いがいっぱいです。

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